島成園 影絵之図を描く

島成園の絵を見ていたら描いてみたくなった。

難しかった。

おそるおそる線を引くぐらいなら鉛筆を使うべきかもしれない。でも補助線引いても引かなくても同じように崩れていたから、補助線が有用だという実感がない。

ネットで画像検索している時に気付いたのだが、この絵は2バージョンあるようだ。

https://stat.ameba.jp/user_images/20230318/14/creativecolors/d5/60/j/o0763114815256980152.jpg?caw=1125

めいさんのブログ『日々の色彩』より

https://www.sakai-rishonomori.com/wordpress/wp-content/uploads/2018/11/shimaseien_chirashi.pdf

『さかい利晶の杜』ホームページより


人体の形を覚えるために体操選手やダンサーの動画を見て描いている。しかし体操にしろダンスにしろ演技の舞台というのは光があちこちから当てられて、人体にできる影が曖昧になる。影が曖昧になると形が掴みにくくなってしまうので、学習には向いていない素材かもしれないと思い始めた。でも人の動きを描くのは楽しい。

絵画の寿命

https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0409/users/8dba867eb113ea34f15b27859989bb127fba26ac/i-img800x600-16950253435ahr2u186825.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j1106795905

ヤフオクに出品されていた日本画。書も絵も上手い達人の手による作品だが、幅1mの大作で普通の家では飾る場所もないからか、あるいは傷みすぎているせいか、500円でも落札者は現れなかった。今後この絵はどうなるのだろう。処分されるのだろうか。捨てられるとしたら残念だが、保管するにも金は掛かるわけで、こういう引き取り手のない絵を救う良い案は思い浮かばない。

捨てられる絵のことを思うと胸が痛むが、正直に言えば、これでいいんじゃないかとも思う。紙に描かれた絵はどうしても変色やシミなど経年劣化を避けられないし、この絵はこうやって額に入れられ、きっと長いこと誰かの目を楽しませてきたのだから、天寿を全うしたと言えるのではないか。

絵を描くようになって思ったのは、みんなもっと絵を気軽なものとして考えたらいいのに、ということ。絵画は芸術作品だから粗末に扱ってはいけない、文化財だから大切に保管し続けなければならない、という意識が先行している気がする。

立派な額縁付きの油絵が送料込2,000円でも買い手が付かない現実を見ていて思う。廃棄される前に誰かの部屋の壁に一度でも飾ってもらえれば……とりえあず気になった絵を千円、二千円で買ってみて部屋に飾ってみてもらえたらと。飾ってみたら空間に広がりや彩りが生まれて良かった、となるかもしれない。そうならなかった、あんまり良くなかった、ということならまあ捨てるということで。それでも落札されずにただ廃棄されていくよりかはずっと良い。

以前ミュシャの模写を描いて通っていた教室の展示会に出した時に、照明の映り込みが気になってガラスを外して展示したいと思ったが、汚れてしまうかもということでガラス付きで展示した。自分としては汚れないことよりも映り込みなしで見てもらうことの方が重要だと感じていたが、実際に汚れて戻ってきたらショックだったかもしれないから、どちらが正解かは分からない。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/f/fortia/20220408/20220408211850.jpg

ただ基本的に私は絵画を消耗品、日用雑貨みたいな感覚で使っても良いと考えている。保護もせずにそのまま壁やドアに貼って楽しみ、汚れたら捨てて新しい絵を買う。捨てるのは心が痛むし、泣く画家もいるかもしれないが、そういう「生活の中に絵画を取り入れるサイクル」が社会に広がれば絵の需要は高まり、絵を描く側にとっても絵画を制作する意味が趣味の領域を超える可能性が高まるから悪い話ではないと思う。

歴史に残る名画も大切に保管し続けるために描かれたわけではないはず。

細部を見ないで描く

人体の各部のおおよそのサイズすら把握していないことに気付いたから、体操動画などを見て人の体をたくさん描くことにした。「この姿勢の時に指先はこの辺にくる」とか「ここで線を引き直すとコブになって関節っぽくなる」など、そういう知識や感覚を積み重ねたい。

数をこなすことが重要だと思っているので、形を正確に取ろうとは考えずに描く。それっぽく見えればいい。そう思って描くと意外にも形が取れる。逆に形を取ろうとして細部に注目すると全体像を見失ってバランスが変になったりする。求めれば遠ざかり諦めると近付く。と言って諦めているだけだと何も手に入らない。

こんなに崩しても何とかなる、と分かると描くのが楽になる。

歪んだ絵

ヤフオクに流れる無数の絵画を日常的にチェックしている。達人の手による絵画も1,000円で流れていく非常にエキサイティングな場だ。(描いた人は泣いていることだろう。)

ヤフオクの絵画カテゴリー

↑こういうページで確認するのだが、小さな画像でも意外と分かるというか、気になる絵というのがある。

こんな極小画像から自分が何かを読み取っているのがおもしろく感じられて、自分はどんな絵に引っ掛かるのか考えてみた。

条件の一つに「歪み」があるような気がした。

この間眺めていた時はこの絵が気になった。

https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0408/users/64cf6429443543122ae86c5f00284ec0bd163bc2/i-img480x634-1693403856b95jim13910.jpg

雨なのか、黒い霧みたいな描写が不穏な感じを出していていいと思うが、パッと見たときに自分が引っかかったのは「真っ直ぐ建っていないビル」なんじゃないかと思う。小さな画像を見て一番最初に飛び込んでくる情報はそれじゃないかと。

このビル群が整然と描かれていたらどうだっただろう。それでも魅力的だったとは思うが、流れていく視線はこの絵で止まっただろうか。

 

「歪み」が絵を悪くしない、むしろ良さになるという気付きは描く時の助けになる。

自分が絵を描く時、つい正確に描くことを意識してしまいズレると落胆してしまうが、歪みやズレが魅力だと分かっていればズレても気落ちせずに続けられる。

横顔をペンで描く

いつものように流し見しているプライムビデオから。Cruel Summer Season 2 の一場面。元にした場面をアップしたいのだが、よく考えると著作権の侵害になる気がするのでやめておく。画面撮って「これを元に描きました」ぐらいは許してもらえるような気もするんだけど。

髪の毛は黒潰れしていて細部が分からず、見えるままに黒く描いたら頭巾のようになってしまった。輪郭をもう少し工夫すれば、たとえベタ塗りでも髪の毛っぽくできたかなと思う。所々にある黒点はボールペンからインクがドバッと出てきた跡。

どんな作品かまったく知らずにアマゾンのおすすめに出てきたから見ている作品。過去と現在の場面が入り混じって、流し見には厳しい作品だが、話の軸は明確だからまだ脱落せずに視聴継続できている。絵的にちょっときついと感じる場面が多いので完走できるかは分からない。

ペンで建物を描く

先日プライムビデオでスコットランドの風景画家、ジェームズモリソンのドキュメンタリーを見て、彼の描く絵の深い色合いや精緻さに感銘を受けたのだが、黒のみで建物を描いたペン画のような水彩画がちらっと出てきて「あ、こういうの描いてみたい」と思いボールペンを手に取った。

本当は街に出て目の前の風景を描いてみたいところだが、色々とハードルが高いのでまずはテレビドラマの一場面を描くことにして↑この絵を描いた。元の映像は↓こちら。THE TUNNELというドラマ。流しているだけなのでストーリーは把握していないが、多分猟奇殺人を扱う刑事物。

改めて、描いた絵と見比べてみると思った以上に別物になっているが、その辺は全体のバランスがおかしくなければ気にしない。建物を描きたかったのだから、正しい崩れ方をしたとも言える。

雲や森をペンで描く方法はもう少し試行錯誤を重ねて探さないといけないが、何回かこういうのを描いているうちに自分なりの方法が見つかると思っている。